打ち上げ花火下から見るか横から見るかを再度見ました。


そして2回目を見て本作のテーマがはっきりとわかりました!
まだ見ていない方もオススメです!
ストーリー(もしもを使うということ)
1回目
主人公の典道は奥手な少年で、なづなに恋をしていました。
なずなは母の再建のために別の学校に転校することになっており、それを嫌がっていました。
彼女はプールで悩んでいたところ、典道とイケメン君がやってきました。
イケメン君もなずなが好きそうでしたが、友情を取る性格のようです。
3人は泳ぎで競争し、勝った人の言うことを聞くというルールで勝負をしました。
結果、なずなが勝ち、イケメン君と花火大会に行くことになりました。
しかし、イケメン君は典道になずなを譲りました。
しかし、途中で家でを目論んだなずなは母親に見つかってしまい連れて行かれてしまいました。
典道は不思議な玉を使って、「もしもプールで俺が勝っていたら」と能力を使ってしまいます。
2回目
しかし現実は本当の現実ではないのです。
確かに花火大会をなずなと典道は一緒に行くことになりました。
しかし、電車に乗るタイミングで母親に見つかってしまいます。
悔しがる典道は「もしも一緒に電車に乗れたら」とまた力を使います。
3回目
一緒に電車に乗れた2人でしたが、電車の途中で母親に見つかってしまい、灯台にて2人は追っ手に追いつかれて落下してしまいます。
2人は生き残るために、「もしも誰にも出会わなければ!」と再度使います。
4回目
2人はずっと一緒にいられる環境の中にいることができるようになりました。
しかし元の世界とはズレまくってしまっていました。
なずなは、一緒にいたいと言いながらも元の世界(花火が丸い世界)にいないといけないという心情になります。
典道も同じことを思いましたが、なずなと比べてどこか幼稚性が残ります。
そんな中、酔っ払った花火職人がアクシデントで能力を発動するきっかけを作ってしまい、玉は爆発し無数の世界線が現れました。
この世界のなずなと典道は「次はどんな世界で会えるかな?」と問いかけをしました。
元の世界へ
元の世界へ戻り、なずなは転校し典道はこの世界には存在していましたが登校はしていないようでした。
打ち上げ花火の映画が残したメッセージ


これに尽きると思うんです。
最後のシーンでなずなは転校を受け入れて、典道は学校を休んだと僕はとあるシーンでわかりました。
- なずな→名前が呼ばれない+ぺんぺん草(なずな)が手を振るように画面に写っていた
- 典道→先生に名前を呼ばれる+机にいない→なずなとの思い出に浸っているのか学校を休んだ


再度に劇中で流れた松田聖子の瑠璃色の地球の演出がとてもロマンチックに感じました。
このシーンを見るだけでも本作はとても心に残る傑作だと僕は感じました!