人付き合いって人生で大事なはずなのですが、それを見失っていませんか?
あなたも仕事などで忙しくしていた時に、自分は一体、何がしたいのだろう?って思った時はありませんか?
僕は最近、そのような疑問が頻繁に生じてきて少し悩んでいるのです。
昨日、僕は近所を散歩していたのです。
色々あっていつもとは違う道で、違う歩き方で道を音楽を聴きながら歩いていました。
もちろんイヤホンは以前に紹介したあのイヤホンです笑
そうしたら、知人とばったり会いました。
これは本当に偶然で、むしろ今まで遭遇しなかった方が確率的に低かったのですが。
自分にとって6月の中旬はいろんなことが今まで起きてきた日にちだったこともあって、
色々と昨日は思考をしていました。
なぜ、僕たちは働くのでしょうか?
働くことに疑問を持っているあなたに是非読んでいただきたいです。
人付き合いが苦手な人の傾向を昨日までの過去を振り返りながら考えてみた
人付き合いに苦手意識を持っている人って最近目立ってきているなぁと自分のことも含めて思います。
僕は中学生の頃にそれを自覚し高校生の頃にそれが顕著になりました。
もちろん、原因は主に自分にあるとは思います。
高校生の頃の自分を思い起こしてみて、その傾向を列挙してみます。
その内容は、今の僕が思う僕の周囲の人のそれとの共通部分をとったつもりです。
- 理想が高い
- 目標を達成することに駆られる
- 他人の批判を受けるとすぐに傷つく
- 結果が悪いことがあると「これは本当の自分ではない」と真実の自分を受け入れられない
理想が高いとは、目標設定が高いことと同義だと思います。
当時の僕は数検1級という目標に縛られていたように思います。
そのために人間関係が犠牲になりました。
しかし、数検1級合格という結果は手に入れることができました。
今は、それが僕の夢に繋がっているので良いのですが、大学2年生くらいまではその反動に結構苦しんでいました。
無理をして自分を演じている、巷でいう大学デビューってやつをしていた頃です。
また、大学デビューは所詮は虚構なので、そこを他者に突かれるとダメージは大きく、
簡単な話、すぐに凹むわけです。
そんな自分の状況を他者のせいにするというのは、やはり弱い人間のすることです。
結局、大学学部の頃は人間関係をこちらから拒否していってしまい、本当にその選択を後悔しています。
その理由は、当時目標にしていた東大院試に合格するという目標にわき目もふらずに邁進していたからです。
しかし、これも運命なのか、僕は東大院試に合格できました。
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合格した瞬間の気持ちはそれまでの人生で最も達成感がありました。
しかし、その達成感も束の間でした。
入学後、周りには優秀な人ばかり。
これでは僕は勝てない!なんとかしなくては。なんとかして東大で秀でないと。
当時を振り返るとそのような気持ちでした。
今思うと、僕は一体何と戦っていたのでしょうか?
その時と似た感情で漢検1級と戦って僕は勝ちました。
漢検1級を取ろうと思った大きな理由は、過去の漢字ができなくて周囲からバカにされた過去を乗り越えたいから。
僕は漢検1級合格という結果を手にし、あることを確信しました。
確かに、僕はここまで学力や頭脳的な面でここまで来れたけど、
同時に失ってきたものがある。
それは人間関係だ!
と、同時に思うのです。
高校生、大学学部生、そして社会人としての今まで、
人間関係まできちんとこなせて来れなかったのか?
僕が今の年になって叶えられていないことは、人間関係を大切にするということなのでしょう。
英検1級を目標に頑張っていますが、これも不思議で、
英検1級には広義の意味での他者の存在を意識しなくてはライティングもスピーキングも点数が取れないのです。
だからこそ、数検1級+漢検1級+英検1級を成し遂げるための最後のピースは人間関係かも知れないと思い始めてきました。
しかし、そこには僕にとってある問題があるのです。
それは職場での僕の気持ちの折り合いの付け方です。
人付き合いが苦手な人は職場でどのような生き方をして得意になっていくのだろう?
自分にとって正しいと思ったことが会社では間違いだった時、
あなたは悩みませんか?
そしてそれが積み重なった時、それは真剣に考えないといけない問題かも知れません。
僕は最近、それを実感しています。
もちろん、顔は動かさずに何となく笑って、
「僕もそう思います。すみません。きちんとします。」
などと言わねばならないのが現実です。
もちろん心の中では「違うだろ!」と叫んでいるのですが、
それは僕はジムで発散しています。
筋トレがなければ多分、僕はもう潰れています。
筋トレをしながら、僕は一体これからどうしよう?きちんと考えよう。としています。
その根拠は、やはり今までの学習の経験と資格試験取得のレアさです。
現状維持が正解なのか?常識に縛られていないか?
つまり、別の生き方はないのか?
しかし、それをしたらきっと僕を信頼してくれている人や両親は悲しむかも知れない。
多分、英検1級に合格した時に僕はその問題についての結論に近づいているかも知れません。
まぁちゃんと勉強しろ!って話ですよね笑
可能性を高めるために。
人付き合いを見直したくて高校時代の卒業アルバムの寄せ書きを見返しました
小学生の頃の人間関係が僕の中では理想です。
性善説であり、人を信用し、友達を大切にし、損得勘定抜きであなたは大事な人と伝え合う。
高校生の頃に僕は性悪説になったと思います。
人間は所詮孤独、だから深く他人と親しくなってはいけない。
その根本にはやはりバカにされたり、自分が劣等生だったりしたのが原因なのですが、
そのために筋トレを趣味にできて、当時とは全く違う身体になってはきているので、
その当時の経験は必然だったとは最近、やっと分かってきて、折り合いはつけれています。
6月の中旬は人生で考えさせられることばかり起こる不思議
思い返すと僕の中で6月の中旬はそのようなことが結構起きているのです。
個人的には、それが何故か?を解明したのですが、結論はまだ出ていません。
- 会社の同僚の方から異性を紹介されたがお断りされ、
- 以前の会社で足を負傷し、色々あって人間関係が崩れる
- たまたま出身高校の先生と会ったが素直に喜べなかった
- しかし漢検1級に合格できて人生の糧の1つになって嬉しい時もあれば、
- そして昨日はなんと鳥の大量の白い羽を見てしまった
など、本当はきちんと、そのような状況と向き合いたいのですが、
やはりどうしても高校生の頃の悔しさのようなものが僕の心にドーンと乗っかっていて、
どうしてもその闇のようなものに勝てないのです。
そもそも勝つ必要があるのか?とも思うのですが、難しいですね。
白い鳩の羽の跡を追ってみました
昨日は、高校時代の卒業アルバムをなんとなく見て、やはり落ち込んだ後に、
散歩でもすっか・・・。
とブログの本を購入しに大型書店へと向かいました。
その途中に、鳩を見たのです。
残念ながら鳩の息はなくて、白い羽がまっすぐに大量に散っていました。
少しだけ鳩の近くに行き、とりあえず祈りを捧げ、鳩の羽の方向に散歩の方向を変えました。
まぁ本屋には行くけど、今日はまぁ、適当に歩いてみるか。
そうしたら、なんと向こうから知人が歩いてくるではありませんか!
とても相手が楽しそうで、なんだか僕はホットしてしまったのでしょう。
少し饒舌になってしまいました。
一緒に本屋まで歩いた5分くらいでしょうか?
久しぶりに嬉しさが僕の中にありました。
去り際に相手は振り返ってくれました。
僕も、そのような時は振り返ってみようかなと学習しました。
心から話ができただけで嬉しいって、僕は会社では相当本心を隠しているんだなって思いました。
話していて理解したのですが、
明らかに相手は人間関係を大事にしていて、僕は高校時代の闇に取り憑かれていて、
これはもう恥ずかしかったので、
せめて人間関係を大事にしようという意志だけでも宣言してみよう!と思いました。
今後の生き方の問題と人間関係の意識をこれからはきちんと逃げずに向き合っていこうと決意ができた日でした。
下記の本は持っているのですが、そろそろ新装版を買おうかな。
そのためにも、まずは英検1級の今回の結果が大事です。
月曜日を待つことにします。
生き方の問題と人間関係の問題の5つの解決策をまとめてみた
昨日の縁ある出来事を振り返って、生き方の問題と人間関係の問題を、
僕のように抱えている方にとって解決策になるかも知れない5つの提案をいくつかしておきますね。
- 今の実力や現状を受け入れる
- 物事を色眼鏡で見ない。そのままの状態を認識するように努める
- 今回は偶然、話を聞いてくれた人に会えたから良かったものの、やはり悩みを認識する前に、どこかで出しておかないとダメである
- 体を定期的に動かして心技体を意識した行動をとる
- 正義は1つではないことを理解し、正義の押し付けはしない
このような感じになりました。
もっとブラッシュアップできるかも知れませんが、今の未熟な自分にはこれが限界です。
人生は一度きりなので、一瞬一瞬を大事に意識化して頑張って生活していこうと思います。
昨日ような出会いは意味があると思い大切にしていきます。
お読みいただき、ありがとうございました。