アニメ 自己啓発

鬱の症状の対処法ですぐに行う1つとは?ネクサス・セラブルから得た教訓

2019年3月14日

鬱になったかも?

なんだか元気が出ない。やる気が出ない。無気力かもしれない・・・。

春になってこう言ったことを訴える人が増えてきている感じがします。

まず、これらは健康的な状態ではないのは確かです。ひどい場合だと鬱だということにもなりかねません。そこで僕がそう言った症状を乗り越えた経験を踏まえて、意外と見落としがちなことも含めて、アドバイスできればと思います。

極論を言いますと、筋トレしろ!ですが、それが出来ないあなたのための記事です。

なるほど、それだったら俺でも出来そうかな・・・、という方は下記をお読みになり、ジムに行きましょう!

鬱や健康でない状態を感じたら、まずすべきこと

鬱やそう言った症状に近いかなと感じたら、「大丈夫!すぐに治るさ」とは絶対に思ってはいけません。つまり、症状を認めないのはいけません。

そう言った無理をして日々を過ごしているうちに、知らない所や無意識のうちに精神的疲労が蓄積されて、とんでもないことになってしまうかもしれないからです。

そのために、まずすべきことは、「あぁ自分は今、本調子じゃないな。」と認めてあげてください。

弱い自分を隠そうとするのではなく、今の自分は本調子ではないと認めることが、まずあなたがすべきことです。

これは、勉強でもそうだと思うんです。

例えば中高生ならば、模試などが返却されて悪い結果で会った時に、「これは本来の結果じゃない、次回から本気出す」というのは、成績が伸びない人の典型ですよね(実体験)。かつて漢検1級に何度も落ちていた頃の自分がまさにそうです。

そうではなくて、「今回、失敗しちゃったな、まずは悪い点を反省して、次に活かそう!」という一度、結果を受け入れてからの再スタートを切る決意が大事なのです。

このことを考える前に、すぐに薬などの実践的な対処法を取り入れる方が多いと思いますが、しっかりとした土台を作る前に結果のみを追い求める姿勢は僕は危険だと思いますし、例え今回は薬で治っても、完治したとは言い切れませんよね。

もう再発しない!という状態にするためには、先ほどのポイントをまず、試すのが先決です!

おいおい何でそんなに断言できるんだよ(怒!)

という方もいらっしゃると思いますので、その結論に至った根拠を書いて行こうと思います。

僕が実際に経験したこと

鬱ということについて真剣に考えたことは今までなかったのです。実際は、鬱という症状や状態が人の一生を決めるほどの大きくて苦しいことだというのに、当時の高校生の僕は、若干の自分の気だるさに対して軽視していたと思います。

症状としては、まぁ勉強をしたくない!という良くある意見なのですが(笑)

当時の僕はその原因がどこにあるのかがわからなかったのです。

そして昨日、今日と思考を深める練習のために、トラウママンと噂のウルトラマンネクサスを見たのですよ。

実際は、きちんとしたストーリーで良く見ると鬱ではないのですが、ストーリーの表面しか終えないと色んなシーンが印象に残りすぎて、結果的に鬱だ!!となってしまうのでしょうね。

今回、僕は見終わってカタルシス(あとで理由を書きます)を得たのですが、そう言った感想は稀のようで、やはり1つの作品をどう言った視点で観る(挑む)かによって、1を聞いて10を知るの10のレベルが変わるんだなーと思います。

多分、高校生の頃の僕がウルトラマンネクサスを見たら、無気力状態になってしまったと思うんです。

なぜそう言えるかと言いますと、過去に僕が遊んだゲームで、ウルトラマンネクサスに似たストーリー、世界観のRPGゲームがありまして、ゲームをクリアした後くらいから、無気力状態になってしまった過去を持っているからなのです。

ウルトラマンネクサスと対照的な明るいウルトラマンはこちらです。これも名作です!

ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ・ウルトラマンガイアで愛を学ぼう

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僕は、人生とは過去に出来なかったことを今、成し遂げて行くことが大事なことだと思っています。

そして、この記事をお読みのあなたも悩みを解決したいと思っていることでしょう。

ですから、共にトラウマや悩みや、そして鬱の症状を解決、解消するためのヒントを得ていただくために、まずは、このゲームとウルトラマンネクサスを紹介して行こうと思います。

そして、その2つを通じて、どう言ったことに気をつければ鬱どころか、人間的に成長できる学びを得られるかを考えて行きます。

注:どちらの作品も素晴らしい作品です。作者様や原作者様に敬意を評して書かせていただきます。

セラフィックブルー(ネタバレ注意)

鬱になるゲームNO1の称号を持っているフリーゲームのRPGです。

ハッピーエンドは失われた。というキャッチフレーズに当時の僕は物語の壮大さを感じて引き込まれて早速ダウンロードしました。(直リンクは著作権の関係があるため、ご興味のある方はググってみてください。)

当時の僕は高校2年生で確か、公開されたのはその年の春だった気がします。

主人公が住む世界は、地上のグラウンドと天空のフェジテという2つがあります。

これは後半へ移る際の最大のネタバレなのですが、すみません。まずはグラウンドからのスタートとなります。主人公のレイクはグラウンドを徘徊する魔物イーブルを掃討するイーブルスイーパーの職業で飯を食っている青年です。トュルクの村に住んでいます。

ご覧の通り、目つきも悪く、何をするにも投げやりな姿勢のため、良く怪我をし地元の医者ランゲルに面倒を見てもらう毎日でした。

その地方というかグラウンドには天使伝説というものがありました。

レイクがテュルクの村近くの森にイーブルの親玉を討伐しに出向いて、親玉をやっつけたわけですが、そこに禍々しい雰囲気の少年エンデが現れます。

エンデはブツブツと呪文を唱えながらデカイ怪物イルムガルトを召喚!その強大な力にレイクは倒れてしまいます。

しかし突然の天使降臨!現れた天使ヴェーネはセラフィックトランスという技で怪物、そしてエンデ共々吹き飛ばしました。

しかしその代償として、彼女はその記憶を失ってしまいました。

レイクはヴェーネから命を救われたわけで、しかも初対面のはずなのにレイクの名前を知っていて、しかも彼女は記憶を失ってしまった・・・。レイクは彼女の記憶を取り戻すために彼女の口から断片的に出てくる言葉を拾いつつ旅をする決意をします。

レイクは出生の際に母親を失くしていて、暴君の王様から逃れるために、レイクが小さい頃に父親に捨てられてテュルクの村の孤児院に預けられたという父親に対して怒りや憎しみに似たトラウマを持っているわけです。

彼もまた父親を探しているため、ヴェーネの旅に付き合う結果となったのです。

そんなこんなで牧師のニクソンやスラム街の倍娼婦フォクシーを仲間に加え、エンデが召喚する怪物、オルトルート・ディートリンデを撃破しつつ、物語は進みます。

  • なぜエンデが怪物を召喚するのか?
  • ニクソンは孤児院の牧師なのになぜ銃を撃つのか?
  • フォクシーがもつトラウマとは?

などと謎だらけで進んでいくわけです。

その中で最もプレイヤーをトラウマにした猫のシーンがあるのです。実はヴェーネはある目的を達成するために父親のジークベルトから特殊な教育を受けていたのです。まぁその教育のせいでラスボスになってしまうわけですが

そして、ニクソンの協会の孤児たちがエンデの手に寄らず、怪物になってしまいました。

ここが物語のキーポイントだと僕は思います。壮大なネタバラシをしますと、その個人の子供は天空国家フェジテで自然交配によって作られた子供をグラウンドに廃棄した結果、親元不明で発見された子供達だったのです。

そして、フェジテでは自然交配による子供はDNAの染色体異常によって怪物になってしまうという宿命があったのです

この怪物をフェジテではルシファー・グラウンドではイーブルと呼んでいました。つまり、レイク一向は、またまたニクソンは自分の手で違う世界の子供達を手にかけたことになるのです。

フェジテからグラウンドの様子は見えますが、天空境界があるためグラウンドからフェジテの存在は認知されなかったのです!そのためレイク達はこの世の真実を知る由もなかったのです。

エンデは純粋に破壊と残虐のイデアとして世界によって作られた因子であり、ヴェーネは世界の秩序を正すセラフィックブルー因子として世界から選ばれた存在なのでした。

エンデはガイアキャンサーという怪物を召喚しセラフィックブルーを倒そうとしているわけです。しかし物語は複雑で、このグラウンドを支配しているゲオルクという男がフェジテの存在に気づき、フェジテを征服しようと解放戦争を仕掛けます。

ヴェーネはその人質としてゲオルクによって漆黒のラージュという空中要塞に幽閉されてしまいます。2つの世界が衝突したら大惨事になりますね。だから、レイク一向はヴェーネ奪還そして、世界の衝突を阻止する動きに出ます。

そして実はゲオルクはレイクの祖父でした。レイクの母シリアはゲオルクによって殺害され、その夫のユアンはゲオルクの嫉妬を買い、黒死のレオという暗殺部隊に追われる身になってしまいました。

つまりレイクにとってゲオルクはトラウマの根源そのもののわけです。

レイクは自らの生命と引き換えにヴェーネをゲオルクの手から救い、まさかの主人公退場という衝撃をプレイヤーに押し付けます笑

 

そして、物語の真の主人公ヴェーネにバトンが引き継がれるのです。

ちなみにレイクの父親のユアンは解放戦争のフェジテ側のトップであるモーガンを倒すためにその身を犠牲にしました。結果、ヴェーネはレイクとユアンの魂を双翼としてセラフィックブルー完全体になったわけです。

ここでのポイントはヴェーネの中にはいろんな人の人格があるということです。

当然、ジークベルトによるイかれた教育から生まれてしまった救済を第一とする人格エル(R)も育ってしまっているわけです。エルは結果的にラスボスになるわけですが、ヴェーネの精神から外界へ逃げ出してエンデや物語の黒幕と接触し星を破滅へと導くことを計画します。

その黒幕とは登場人物の中で初期からいたケインの家族です。

ケインは妹アイシャを怪物になったという理由でグラウンドに廃棄され、それを当時のグラウンドの英雄ランサードによって息の根を止められたことにより、この世に絶望を感じながらヴェーネ達と旅をしていた真の黒幕です。

ケインの父親ジョシュアはカーチスとしてモーガンの手下に、母親のレオナはハイディとしてゲオルクの部下として潜伏、すなわち世界を動かしていたわけです。しかし問題は、ケインの両親はアイシャを失った悲しみから身を投げたと世間では公表されていたことです。

実は、ここに物語の闇があります。フォクシーのいるケイオスというスラム街では、マルゴの狂夢堂という命のない人間そっくりの素体を作れる技術があったんです。ケインの両親は自身の素体を作ってもらい、崖から素体を投げたのです。

マルゴは素体を作ってしまったことによりその贖罪のために、物語の最後では・・・。

アイシャは6歳の日に落命しました。そのことを逆恨みにジョシュアは6年の祝祭者としてDLG法(要はフェジテの子供をグラウンドに廃棄してOKという法律のこと)に関わった人間を殺して回るということを物語の随所で行っていました。

エンデの繰り出すガイアキャンサーを10体潰し、ジョシュアの召喚した11体目のエスラルメダ、レオナの召喚した12体目のユスティーネ、そしてクルスク一家がアイシャの核を手に入れたことにより、13体目のガイアキャンサーに成り下がったエンデを倒したヴェーネ一向はクルスク一家との決戦へとアイシャの空(ラスダン)に向かいます。

ラストダンジョンでは、鬱展開の連続です。ジョシュア・レオナ・ケインと倒して、最後にラスボスを倒して物語は終わるのですが・・・。

要はヴェーネの心が闇に包まれてしまっていて、世界は崩壊してしまいます。そして最後の結末は・・・。

というストーリーです。とても暗いストーリーに思えるのですが、BGMは神でした。

特に戦闘の曲やクルスク一家とのテーマなどは何時間でも聞けるくらいの名曲です。ラスボスの曲はフリゲでは有名?な曲です。個人的な曲NO1は、ジョシュア戦の曲です。

ジョシュア「では戦いに先じて1つだけ問う。」

ヴェーネ「・・・。」

ジョシュア「生まれてくることの幸せとは?

ヴェーネ「!」

ジョシュア「行くぞ!」

そして戦闘になるのですが、映画を見ているようでした笑

では、本題です。ここで、本作が鬱だと言われる理由を僕は考えて見ました。

  1. 使命を果たして頑張った先が滅びでも使命を果たすのか?
  2. しかもそれが産まれて来た者の全てが背負うことであったら?
  3. それを救う手立てが救済(つまり現代でいう安楽死)は絶対か?

当時の僕は無意識のうちにこの3点が心に突っかかっていて、無気力になってしまったのだと思います。

ストーリーの結末はプレイヤーの見方によって、ハッピーエンドかバッドエンドかが試されるのです。当時の読みが浅い僕にとって、本作はバッドエンドだったのですが、今の僕は本作はハッピーエンドだと思うんです。

何が結末の幸福か不幸かを悩ませるかは、世界を救ったヴェーネの余命があと僅かであると終盤に判明するということです。

つまり、頑張ったところで人間はいつか死ぬのだから、結果的に報わずに不幸になるのでは?と思ってしまうプレイヤーがいても不思議ではないわけです。

しかし、数年たったであろうラストシーンでは彼女は生きているのです。現代医学でいう余命という概念が本作のラストで語られるのです。

ここで、当時の僕は負けてしまったわけですが、おそらく同じような症状に陥ってしまった方もいらっしゃると思うのです。

そこで、僕はその頑張ったところで人間はいつか死ぬのだから、結果的に報わずに不幸になるのでは?

という問題に対して前向きな、というより恐らく正解を提示したいと思います。

確かに生物にはテロメアという命の導火線があって、いつかは生き絶える。

もちろん医学が進歩して死なない状態は可能になる可能性は大いにあるが、果たして今の時代の我々の感性で『生きている』と認識できる状態が永遠に維持できるかは疑問です。

しかし、物理学(量子力学)では、僕たちの命、つまりエネルギーは消滅しないという結論があるのです。確かに死という状態は客観的に見ると不動の状態と思いますが、その人のエネルギーは消えないのです。

では、本来の人が持つエネルギーとは何か?すなわちその人の本質は何かを考えた時に、僕が確信している正しいと思う答えは、その人の意識とか思考だと思うんです。

医学では、死後の意識があるかないかの厳密な証明はできていいないと聞きます。

脳から意識が生まれるという意見もあれば、意識は別の所にあるという考えもあります。僕は物理学でいうエネルギーは消滅しないという定理があるために、人間が亡くなっても、意識は残ると思うのです。

生まれ変わりは別の問題として、その人の本質は不滅なのではないかと信じます。不死と不滅は違うというのは事実です。だから、セラフィックブルーでいう、鬱をもたらす上述の注意点

  1. 使命を果たして頑張った先が滅びでも使命を果たすのか?
  2. しかもそれが産まれて来た者の全てが背負うことであったら?
  3. それを救う手立てが救済(つまり現代でいう安楽死)は絶対か?

を順に正しく解釈していきますと、

使命を果たすことは義務だと思います。これは有名な名著である下記を見れば納得されると思います。

すなわち、人が命を受けた意味は本書では3つあると説いています。

  1. 学んだか?
  2. 愛したか?
  3. 使命を果たしたか?

その最後の3つ目と本作は密接に関わっていると思います。いろんな本で述べられていますが、この世でしかできないことに挑戦と失敗があるそうです。

そして、この世の全ての人が背負う運命がなんであっても、前に進むべきです。以前の記事にも書きましたが、厳密には失敗という状態はないわけですから、やらないで手をこまねいている状態はあってはならないと思います。

だからこそ学校や会社では、自ら動くという状況が大切になってくるわけですね。

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最後に、救済の絶対性ですが、下記の本に詳しく書いてありますが、これを軽々と容認するとサイコパスの傾向があります。

正直、これは本人の判断が全てで他人の判断が絶対ではないというのが今の僕の考えです。

当時は救済が正解だと思っていましたが、これが自身の中で育ってしまいますとかなり危険な思考(オウム事件のような)になってしまいますよね。

要は楽にしてあげるというエゴを他者が当事者の気持ちを考える前に持つのは反対で、それ以外は正解になり得るというのが今の僕の答えです。

そして、最後の本作の核となるクルスク一家とレイク側の意見の対立である主張を考えてセラフィックブルーの話を終えたいと思います。

産まれてきて幸せだったか?

というものすごく普遍的な問いです。

しかし、これは今まで順に考えてきたことを考慮に入れると、YESです。

クルスク一家はアイシャの一件などからNOという立場で厭世観をヴェーネ達に振りかざしましたが、レイク達(主にレイク)は始まりがなければ泣くこともできない!と文字通りの魂の叫びをぶつけます。

問題点はヴェーネは世界を救う使命を果たすためにクルスク一家を退けるという単純な思考しか無かったため、最後のあのエンディングに繋がってしまうわけですがね。いやぁこれはゲームなのか?というくらい僕の目標設定の癖や思考法を作ってくれたゲームでした。

以下、本作のような状態になった時に、鬱状態から脱出し、生きる力、パワーを得る解決策です。

今の一瞬一瞬を誤魔化さずに感じていることが次の一手に繋がる。生きていることが間違いだなんて決してない!何度でも挑戦して思考することが命している意味。

ウルトラマンネクサス(ネタバレ注意)

鬱にも種類があると思います。セラフィックブルーが人間心理の根底に語りかける静的な鬱ならば、ウルトラマンネクサスは人間心理が揺れ動いた結果に生じる動的な鬱だと感じます。

では、ウルトラマンネクサスのストーリーを追いながら、鬱を感じてしまうポイントと、どうやってそれを乗り越えて生きる力というプラスのパワーに転じて行くかを僕の経験から考えて行こうと思います。

本作はウルトラマンシリーズの中で最も子供向きではないウルトラマンです笑

  1. 主人公がウルトラマンに変身しない!
  2. 1匹の怪獣を倒すのに4話くらい普通に使う!
  3. ヒロインが初めから死んでいる!
  4. 地球防衛隊の組織の中にラスボスがいる!
  5. 怪獣がグロテスクである!(お子さんは絶対に怖がるレベル)
  6. 基本的に死と憎しみを克服しようとする話である!

もうこれだけでお子様を持つ親御さんは休みの日にご家族で観ようとは思わない内容ですよね。

しかし、ウルトラマンネクサスはこのような状況から放送中にクレームが殺到し、打ち切りになってしまった作品ですが、僕はそのような状況になりながらも最終回の37話まで走りきったスタッフの方々に尊敬の念を抱いています。

僕はリアルタイムでウルトラマンネクサスを観ていた訳ではないので、ただ鬱になるウルトラマンという評判だけで、今の自分がネクサスを観て鬱にならなかったら、高校時代よりも成長できている!という挑戦的な意識を持って視聴を決意、実行しました。

結果、僕は本作からカタルシスを得ることができました。

一言でいうと多分、今後の人生に良い意味で影響を与えてくれる作品であるということです。

では、順にストーリーを追って参りましょう!

孤門という男性はリコという女性と動物園でデートをしている仲でした。

しかしある日、彼は突如、怪獣(本作ではビースト)に遭遇しますが、ウルトラマンネクサスに助けられます。

彼は死を覚悟しましたが、「諦めるな!」という言葉から生きる決断をしました。しかしその後に謎の組織の男性に捕まり、連行されてしまいます。彼は地球防衛隊の一因になったのです。しかし、この組織は終盤まで謎だらけなのですね笑

具体的には、怪獣は人の恐れのパワーによって強大になっていく設定のため、怪獣やウルトラマンネクサスに遭遇した人たちはMPという部門の隊員によって記憶を消去されてしまうのです。

そして、物語の巨悪であるザギという悪が、善の心を持つ人間を悪に染めてしまいます。

その犠牲者がかつての防衛隊の副隊長である溝呂木でした。彼は任務中に闇に負けてしまい、死んだ人を生き返らせて、その人にとって大切な人を苦しめて楽しむというゲームをしていたのです。

物語の前半は溝呂木と彼の変身である黒いウルトラマンとの戦いがメインになります。

本作の登場人物のほとんどが過去にトラウマを抱えており、どうやって彼らがそれを克服していくかという観点から僕は視聴をしていました。

その中の一人である姫矢というウルトラマンネクサスに返信する人のトラウマは強烈でした。

彼はカメラマンでした。

人に感動を与える写真を撮る!という気持ちを持っていた彼ですが、戦地に行った時に人が亡くなる瞬間を撮ってしまい、それが世間で認められるという体験をし、絶望していました。そんな中、彼に光が宿り、戦う意味を模索しつつ彼は溝呂木との決戦に挑んで行きます。

一方で孤門は物語前半では軟弱のような設定のためか頼りないです。すぐに闇に飲まれてしまったりして全然主人公らしくないです

しかし現在の女性副隊長の凪によって何度か救われてきました。

しかし、そんな彼に追い討ちをかけたのが、実はリコは溝呂木によって殺されていて目の前のリコはゾンビだと明かされた時の衝撃ですよ。

リコは絵を書くことが趣味だったのですが、ゾンビだと知った時のリコの絵は、まぁとても悪い意味で衝撃的だったのです。この絵が怖すぎて当時はクレーム殺到したみたいですね。はい、本当にゾッとしました。

結果、リコは黒いウルトラマンになってしまい、それを最後に孤門が倒してしまうという鬱展開で前半は終わります。しかも姫矢も実質的に負けてしまいますし、溝呂木は生きていて・・・どうするのこれから?!な展開で後編が始まります。

後編では、憐という青年がウルトラマンネクサスの光を引き継ぎます。

もちろん彼にもトラウマがあるのはお約束です。正義感に燃えた姫矢とは対照的に、どこかのほほんとした憐は僕には魅力的に感じました。彼が鳥が好きで自由を求めるのは理由があったのです。

彼は優秀な人間を目指すためにいろんな人のDNAから作られたクローンだったのです。

彼は遊園地でバイトをしているのですが、それは家族というものを見たかったという泣ける理由なのです。しかも染色体異常により余命が後僅かという設定・・・スタッフさん、憐かわいそうですよ・・・。

しかも本作は姫矢編と今の憐編のOP曲が2曲とも歌詞が熱いです。世間はもっと評価しても良いのに、勿体無い!

その当時は姫矢の次に誰がウルトラマンネクサスに変身しているかが隊員の中で未解決の問題となっていたのですが、孤門だけたまたま憐の正体に気づきます。

と同時にMPの一人の女性である瑞生という隊員も彼をマークする指令を受けるのです。

正直、僕は後編が好きです!楽観的な憐と任務に忠実な瑞生が心を通わせていく様子が、きちんと恋愛しているからです。しかもこのヒロインがかなり可愛いので、スタッフさんGJ!

とまぁそんな彼も終盤ではウルトラマンネクサスに変身して彼女を守り抜き、その役目を終えます。

幸運にも最後の最後で彼は彼女のキスによって命を取り止めるという神シナリオですよ!スタッフさんありがとう!

話は変わって、溝呂木は記憶喪失になっていました。

彼がかつて殺めた一家のうちの生き残りの少女(一部だけ瑞生によって記憶を失っている)と出くわし、二人とも記憶がないまま惹かれあって助け合います。

しかし、黒幕が登場して召喚したビーストが人間を襲っている時に、溝呂木は善の心を持って黒いウルトラマンに変身し、ビーストを倒しますが、最後には落命してしまいます。最後の凪のセリフが泣けます。

凪「ずるいわ!最後だけ人間のようなことをして!ずるいわ!」

このように、ウルトラマンネクサスのセリフは感動というよりは、胸に刺さる言葉が多いんです。

他には、終盤で憐と瑞生が両思いになるのですが、自分がもうじき死んでしまって瑞生に寂しい思いをさせたくないという憐が、瑞生の記憶を消そうとするシーンは胸が痛みます。それを断る瑞生の姿勢に真実の愛を感じました。

そして、今まで表に出られなかった孤門がウルトラマンネクサスに変身し、今まで目立たなかった一番近くにいた人物がラスボスとなって、決戦が始まります。

最後は、恐れよりも希望の力が上回りラスボスを撃破します。ここで、希望の力というのが感動です。

記憶を消すことによって、何もないという0の状態を作りたがるMPが折れて、恐れのリスクはあるが、希望を持たせる選択が功を奏し、世界は救われたという結末は本当に感動です。

MPの行っていることは一見リスクがないように見えますが、僕から見えると失敗をし続けているのですね。だからビーストが出てくる。最後の孤門の選択は本当にヒーローしていました。今まで自分を救ってくれた凪が最後の闇に呑まれる寸前に、

諦めるな!

と彼女に言い放って変身して戦いに赴くあの熱さは、やはり始めから視聴して最終回を迎ええた結果得られるカタルシスなんですね!しかも初陣がラスボスという設定は面白い。

まとめに入りましょう。

鬱ポイントは、表向きはリコ関連の絵画のシーンだと思うんですが、多分本質はそこではなく、MPの行う記憶を消すという行為そのものにあると思います。先ほども書きましたが、MPチームは失敗を避けていると思っている点が実は悪を呼んでいたという流れは、一見、

努力しても無駄じゃないか!

と思うかもしれません。

しかし、やはりMPの行為は失敗な訳で、最後に孤門が選んだ挑戦する気持ち、つまり絆を感じる気持ちを理解できるかが、本作をトラウマ作品か傑作かを分けるポイントになるかと思うのです。

加えて、最後に瑞生が記憶消去を拒んだ点からも、僕は彼女が影のウルトラマンネクサスだとさえ感じます。

つまり、本作を人生の学びとするならば、

悲しみを感じて前に進め!そのような他人を思いやる状態での努力は絶対に無駄じゃない!諦めるな!

という1点につきます。

本当にこのような素晴らしい作品を作っていただき、ありがとうございます。

鬱になってしまった時にあなたにできること

鬱になってしまった、あるいはいつもの自分とは違うなという状態を解決するために、僕が今まで経験したことを踏まえてまとめますね!

弱い自分を隠そうとするのではなく、今の自分は本調子ではないと認めることが、まずあなたがすべきことです。 そして、次のことを意識していただきたいです。 『今の一瞬一瞬を誤魔化さずに感じていることが次の一手に繋がる。生きていることが間違いだなんて決してない!何度でも挑戦して思考することが命している意味。』『悲しみを感じて前に進め!そのような他人を思いやる状態での努力は絶対に無駄じゃない!諦めるな!』 

以上です。

この記事が少しでも多くの人を救えればこれほど嬉しいことはありません。

お読みいただき、ありがとうございます。

東大院試でも有効!
  • この記事を書いた人

志田龍太郎

東大修士取得後30代で3000万円を築きセミFIREした元数学教諭(麻布高など指導経験あり)。サイト+SNS運営などに取り組む傍ら英検1級勉強中。数検1級を高3で漢検1級を教諭時代に取得。「成績が向上する勉強法」「ためになった書籍」「目標達成の思考法・生き方」など呟きます。執筆などお仕事依頼などはお問い合わせからお願いします!

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